2012年07月17日
第1回 『エクラタン』のはじまり
はじめまして。私は『エクラタン』というフリーペーパーを発行している山本ひとみと申します。このたびeしずおかさんよりお声がけいただき、コラムを連載させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。
『エクラタン』とは、フランスの情報をフランス好きな皆さんと共有したり発信したりするフリーペーパー。2002年の創刊から今年で10周年となります。こんな節目にeしずおかさんからお声がけいただいたのも何かのご縁です。いままで、いろいろな機会に発行やコンセプトについて書かせていただきましたが、今一度この10年を振り返りながらご紹介させていただきたいと思います。
私は、大学生の時に2年間休学してフランスに留学しました。大学という共通の志のある者が集まる場で、それに埋もれてしまう自分が嫌でした。コンプレックスもたくさんありましたし、人と何か違う自信を持てるものを持ちたい、と感じていました。そんな時に出会ったのが第二外国語として選択したフランス語。その先生や仲間たちのおかげで授業が大好きになり、1年生の時に席が近くだった子とパリに2週間旅行しました。その時、この国のことをもっと知りたい、この国の言葉を話せるようになりたい、と強く思いました。
旅行から帰ったあとは、バイトの鬼。1年間で100万円を貯め(学生にしたらなかなかです…よね?)、それでも全然足りませんので、奨学金と親にお世話になって、フランスへと旅立ちました。約束は1年。結局何とか延長させ、休学できるマックスの2年後に日本へ戻ってきました。
その後大学を卒業し、再び留学という選択肢もありましたが、私は迷わず就職を選びました。短期間ですがフランスで学んだことを日本で試す生き方をしたい、両親にもそれを成果として見せたいと思ったのが理由です。
東京の商社でフランス語を活かして働きました(新卒の採用があった訳でなく必死で直談判です)。仕事の内容は、私がフランスを経験して最も興味をもった食の世界。私は「調理」分野でのプロでは到底ありませんが、食に関わる仕事をしたいと思い、レストラン向けフランス・イタリア食材の輸入の仕事に就きました。
私は入社翌日からFOODEXという食の展示会への出店をまかされ、右も左も分からないまま、数日間でフランスへの発注や電話の応対などもするようになり、時には飛行機を飛ばす指示をフランスにするという(もちろん上司の指示に従ってですが)、新入社員には考えられないような毎日がはじまりました。
フランスの誇る文化である食の世界において、現地の生産者と話をしたり、日本の有名レストランのシェフから発注を受け食材を卸す。仕事は過酷でしたが、そんなわくわくするやりとりに毎日触れられることが喜びでした。勤務は理由あって短期間でしたが、密度の濃い仕事をさせていただきました。
その後、静岡に来ました。穏やかで素敵な街ですが、最初は東京でのハードだった毎日からのギャップに慣れず、またフランス漬けだった生活がまったくリセットされてしまった不安に駆られました。フランスを求めて、街中を歩き調べて回りましたがあまり見つかりませんでした。いろいろ考え、ないなら自分で作ってみようかと創刊したのが『エクラタン』です。
私の後に留学した友人(一緒にはじめてパリに行った子!)に記事を書いてもらったり、身近でフランスが好きな人に参加してもらったりして、第1号ができました。
内容はフランス留学の思い出だったり、よく比較される京都とパリのことだったり。今考えるとスカスカです(笑)。デザインは手探りでmacやソフトの使い方を勉強しながら、印刷は近所にの印刷所に持ち込んで。100%自費の1色刷り、2,000部からのスタートでした。
形は正方形。折らずに持ってもらえるサイズで、すべてのページに目が届くような折りにしました。この形式は今でも好きで、変えることはありません。第1号を手に、街を回って置いてもらいました。その時活用させてもらったのが、電話帳。静岡市と、地元浜松市を中心に、フレンチレストランやカフェなど、興味を持ってもらえそうなところにエクラタンを持ってまわりました。
断られたり、ふーん、何でそんなことするの? と冷たい対応の所も正直ありました。別に断られるのはしょうがない、けどどうしてそんなこと言われなきゃいけないんだろう、と悔し泣きしながらとぼとぼ帰った記憶もあります。(実はそんな時は「やっぱり置きたい」と向こうから言われるようなエクラタンにしてやる!と奮起したものでした。そんなことの繰り返しです、笑)
でも、しばらくすると、読んでくださった方からメールが来たり、うちでも置いてあげるよ、という声も少しずついただいたり、会って話がしたいと言われるようになりました。静岡の人は、外にはあまり現れないけど内に秘めたものを持っている人が多くて、何かのきっかけを待っているのかな、そんなことを感じました。
第2号目から、何とスポンサーがつきました。その企業さんは「個人レベルで終わらせず、責任を持って続けて欲しい」という宿題をくださったのだと思います。そのことは、今でもずっと私の中で感謝とエネルギーと教訓となっています。
こんなふうにはじまったエクラタン。その後のすったもんだもたくさんありますが、何とか10年休まず続けることができました。過去のストーリーから今のタイムリーな活動まで、少しずつ紹介していきたいと思います。楽しみにしていてくださいね。
(山本ひとみ)
Posted by eしずおかコラム at 12:00