2012年08月07日
第2回 私のフランス留学回想
みなさんこんにちは。Bonjour!(フランス語で、「こんにちは」はボンジュールといいます。発音は、「ボンジュール」より「ボンジュー」の方が正しいものに近いですが。)
第1回のコラムで、私がエクラタンをはじめたきっかけをざっと書かせていただきました。昔を思い出すよい機会になりましたので、今回はもう少しフランス留学時代のことを書きたいなと思います。
私は20歳の4月に大学を休学しフランスに留学しました。
最初の行き先はフランス中部、ロワール地方です。みなさんはロワール地方を訪れたことはありますか? 私はその地方のアンボワーズ(Amboise)という田舎町を最初の留学地に選びました。パリから電車で2時間かかります。ここに3ヶ月間滞在しました。
ロワール地方といえば、古城巡りで有名な観光地です。アンボワーズにもアンボワーズ城という美しくかわいらしいお城があります。また、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごしたクロ・リュッセという館があります。
なぜ私がこの街(村!?)を選んだかというと、ロワール地方では訛のない純粋なフランス語が話されていると聞いたこと、そして恩師が薦めてくださった語学学校があったということです。また、最初からパリなど大都市に行ってしまうと、遊んでしまう自分を想像できたため。。。! 最初はとことんフランス語を勉強する覚悟で行きました。
ホームステイ先は小さな一軒家。良く手入れされた小さなお庭があり、お母さんと娘さんの二人暮らし+ワンちゃんでした。正直言いますと、お父さんもいる家庭を希望したのですが、実際行ってみるとそのような状況でした。私のお部屋は大きなベッドとかわいらしい木の家具、小さな机のある素朴な部屋。窓を開けると小さな通りが見え、田舎街のおだやかな雰囲気が素敵です。マダムはお料理上手で、毎晩のディネ(夕食)が楽しみでした。田舎ならではの季節を感じるフランスのクラシックなお料理が毎晩テーブルに並び、フランス式の食べ方などを教えてもらいました。
学校は、昔教会だったような建物。古い自転車を貸してもらって通いました。日本人学生は私だけ。その他はドイツ語圏のスイス人が大半で、スペイン、イタリアなど近隣の方、アメリカやブラジル、コロンビアなど南米、中国や韓国のアジア人などさまざまな国から学生が来ていました。誰もが知っているヨーロッパの大きな会社の社長さんもいたり(比較的授業料が高い学校にはヨーロッパ系の学生が多いようです)。
実はこの学生たちは、みんなフランス語がペラペラだったのです、、、私は大学の第二外国語で2年間学んだとはいえ、言っていることもさっぱりわからず状態。しかし私一人のために初心者クラスを作ってはもらえず、自分のレベルより上のクラスに入るほかありませんでした。案の定クラスではさっぱり授業内容が分からず、若かった私は何度か涙を流したあの時のことを鮮明に覚えています。自分のせいでクラスが進まなくなってしまう、そんな罪悪感と情けなさ、悔しさから、放課後毎日4、5時間残って勉強をしたり、先生をつかまえて質問攻めにしたりしました。大学受験よりも勉強した自信はあります。この3ヶ月間の挫折と勉強が、その後のフランス生活に大いに役立ち、そして今の私につながっていることは明らかです。
さて、田舎の生活は最初は良いものですが、3ヶ月もいるとやはり退屈になるものです(笑)。勉強しかやることが無かったというのも事実かな。週末はのんびり寝て、散歩に出て、偶然誰かと会ったらしゃべって過ごしたり、買い物も大きなお店もなく、映画館もないので電車で20分のトゥールという街に行くしかないのです。時々街を美しい馬に乗った人が通ったり、ロワール川湖畔でテニスをしたり、、時々はロワールワインのカーヴ巡りやお城巡りもしましたが、平常はぼーっとのんびり、という退屈な毎日でした。若かったですし(笑)。今行ったらもっと満喫できるかも。
途中、やっと日本人学生も入ってきました。彼女は優秀でしたので分からないところを山ほど聞いて教えてもらいました。それまではフランス語だけでの授業で、質問しても分かったような分からないような、なんとなくの雰囲気で処理していましたが、彼女に聞くことができたとき、日本語で説明を受ける大切さを痛感しました。今私はフランス語も教えているのですが、その時感じた経験が生きています。
3ヶ月間の終わりには私のフランス語も上達し、学校で一番上のクラスに入ることができました。ラテン語圏の学生のスピードにはかないませんが、それでも自分としてはかなりスピード出世だったと思います。
さて、退屈ながらも快適だった田舎暮らしのあとは、パリに移動しました。学校に通いながらも日本から友達が続けて訪ねてきたり、同時期にイギリスに留学していた友達と合流してイタリア周遊をしたりと夏休みも楽しみました。私の遊びたい心が爆発してしまった時期でしたね。田舎暮らしの後でしたから、、、
パリのホームステイ先は、パリ南部モンパルナスという界隈のアパートでした。そこでは、私を本当の娘のように扱ってくれたものです。ムッシュはアフガニスタンの作家さんだったので毎晩アフガン料理を堪能しました。ヴァカンスをルーマニアで過ごした直後のマダムのお土産で連日キャビアをいただいたり、スペイン人と結婚した娘さんからは生ハムを1本もらったり、私はかなりラッキーな時期にステイしたと思います。ステイ後もパリのファミリーには何度か会いに行きました。
パリには2ヶ月間だけいましたが、やっぱり良いですね、都会は。この美しい風景が生活の一部になることに、この上ない幸せを感じた毎日でした。
パリのあとは、リヨンへ。リヨンはスイスに近いローヌ・アルプ地方の大きな街です(フランス第二の都市)。ローヌ川とソーヌ川の二つの川があり、旧市街と新市街があります。必要なものはすべてあるちょうどよいサイズの街です。リヨンは言わずと知れた美食の街。ポール・ボキューズをはじめ有名シェフのレストランが多く、フランス料理界の偉大なシェフはリヨンで修業すると言われています。
私はリヨンの大学に入るべく、最初は学生寮に滞在しました。ここでの、不便でありながらも学生たちと楽しく戯れた(安ワインで酒盛りして悪酔いしたり)毎日はよい思い出です。学生寮に滞在しながら、夢であった自分だけのアパートを探して住むことになりました。日常の会話には不便しなくなった時期でしたが、アパートを探したり不動産屋さんとのやり取りや契約、ガスや電気などの開設はなかなか難しいものでした。
私の城は、旧市街にある1世紀は経っている建物の一室。リヨンの伝統的な建物には螺旋階段があるのが特徴で、私の建物にもあり、暗くて古いのですがお気に入りでした。冬は暖房器具がきかず何度も修理をしたり、すきま風に悩まされましたが、フランスで自分の住所をもつことという夢が叶えられ満足でした。
当時、フランスには学生補助というものがあり、地域によって割合は異なりますが、面倒な申請をすれば家賃の何割かが援助されました。リヨンはその割合がとても良く、私は半額くらいの家賃負担で済んだ記憶があります。そのおかげで貧乏な私でも自分の城を持つことができました。
リヨンはパリほど大きくない(静岡のような感じ)ですから、友達を作りやすい環境です。フランス人の友達がたくさんでき、毎日のように接していました(ストーカーにも悩まされたりしましたが…)。正直、フランスに来ても日本人同士で固まってしまいフランス語が話せないまま帰国してしまう人も多くいましたが、私は常にフランス人といたので、このリヨンの生活で、生きたフランス語を習得できたと思います。もちろん、この時期に仲良くしていた日本人の友達も、今でもかけがえのない仲間です。
リヨンにいた頃は週末にイタリアやスイスに遊びに行くこともできました。夏休みには夜間バスでスペインにも行ったり。
一度父が来てくれたことがありました。その時私のアパートを見て「よく海外でがんばっているな」と初めて褒めてくれました。褒めてもらえたことが少しでも恩返しになったと嬉しく思いました。
私がなぜこのように短期間でフランス国内を移動して住んだかというと、それぞれの地方での生活や、各ファミリーの生活、または寮、ひとり暮らしと、いろいろな生活を覗き見てそれぞれの社会を体験したかったからです。ほんの一部ですがフランス社会を垣間見ることができ、よりフランスという国を知ることができたと思います。もうひとつは、環境を変えなければ成長する勇気が持てない、そんな弱い自分の性格を知っていたからだと思います。留学は語学の習得だけでなく、自分の弱さやコンプレックスを克服し、自分の強みを探し得る旅のようなものでもありました。
私の留学生活はこんな感じです。
村上春樹さんのエッセイの中に「アメリカに行かなければ自分がどうなっだったなんて考えもしない。その時間は戻ってこないし、もし日本で暮らしていたって成長したかもしれないから」というような内容がありました。これはずっと私の心に残っています。
もし、フランスに限らず留学したいと思っている皆さん、海外での生活は一生の財産になります。ぜひチャレンジしてください。今は私がフランスにいたときと大きく違い、どこでもインターネットで情報が得られ海外とのやりとりが容易ですから。でも、いろいろな理由で留学できない方もいますね。エクラタンの読者の中にも、様々な理由で海外など行くことができず、エクラタンを眺めて海外に行った気分を楽しんでくださっている方もたくさんいます。留学は素晴らしい経験になりますが、その内容も大切だと私は考えます。留学したからすごい、長くいたから偉いわけではないです。他人との比較でなく、自分なりに世界のどこにいたってがんばればいいのです。
それでは皆さん、次回またお会いしましょう!
Posted by eしずおかコラム at 12:00